over−50,のわたし [考察のラウンジ]

顔写真 1.jpg


昔は老人が尊敬されていた。今はそうでもない。なんで?
近ごろ「over オヤジ to じいちゃん」の」世代の影がめっきり薄くなっている。昔のように皆が尊敬、とまではいかなくても、せめて平等に扱ってくれないのか。


街の発明家(都知事) copy.jpg



昔は、高齢者の人生経験からくる知恵、知識が若者世代のそれよりパワフルだった。高齢者は
「教えてやる」立場だった。みんなも訊きに来た。

今、高齢者になった人の知恵、知識、若い頃の経験は、きょうの生活では機能しない。古い。
機械やシステムがフルスピードで進化しているので、新しいものの方が早い、便利、効率的、かつ美しい(少なくとも見た目が)。

しかも新しい知識、知恵はインターネットの中にある。テレビ、電話で得られる情報はもはや一方的で、レスポンスが遅くて、しかもコストも高い。

コンピューターが苦手な高齢者は若い世代に物事を教えてもらう。使えると思っていた、今までのやり方は廃止、変更、淘汰されて、もはやこの世に存在しない。

年上が年下にお願いする、依存するという構図にとまどう人は、いばることも出来ず、へつらうこともできず、結果、存在そのものが薄れる。ウザイひとになる。

これってオヤジとかじいちゃんにとってピンチだ。
「知らないことは、相手が年下だろうが教えを請う、卑屈にならずに」がヘタ。そおいうふうに育ってないから。

一方で、変に若者、新しい物に媚びるオヤジ。カネ払ってでも仲間に入れてもらおうと必死だ。
「自分は追いついてってるぞ!」みたいに同世代の高齢者に優越的な態度。
実は若者に軽く見られている。

私は前期高齢者。このバトルにすでにハマっている。すこしギターが弾けるので、若者君でも
「イイっすねぇー」
とか言ってくれる。(オヤジの割にはって、その後に思ってんだろ!)て想像しながら。

震災で電気が足りなくなった。時代が少し戻ったような生活(のムード)節電、アナログ、アコースティックな風潮の中で、オヤジは存在感を少しは挽回できるのか?

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