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もらったり、あげたり [考察のラウンジ]

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以前はあんまり聞かなかった言葉。
「勇気をもらった」
というもの。
「パワーをもらった」
とかも。

スポーツ選手でも、駆け出しの新人選手が
「みんなに感動を与えたい云々…」
って言うなぁー…。

おっしゃりたい事はわかる気がしますが、そんなに人からもらったり、人にあげたりする物かなー、と思う。
まあ、表現、言葉遣いの問題かもしれないけれど、私個人としては、ど〜〜〜〜も違和感あります。正直。

自分で葛藤して、頑張って、勇気なり、パワーなり、感動がハラの底から湧いてくる、というのが人間の力強さって感じか、、。

「自分探し」とか「夢をあきらめないで!」みたいなのも同じ空気感があり、どうも馴染めないんだなぁー、これが。若者は特に、もっとカッコ悪くモガいて、何かに行き着いてほしい。と、思う。

アンチエイジング(頭の) [考察のラウンジ]

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最近多くなったのか、やっと今頃わたしが気づいたのかは定かでない。
しかし、

「この人、**歳なのに、30代にしか見えない!」

みたいな宣伝や記事がやたらと多い(もちろんほとんど女性向け)
で、この化粧品を買いなさい。この健康食品を食べなさい。この情報雑誌を買って読みなさい、
となるわけだ。

みんなが健康に長生きすることは、素晴らしい。人類永遠の望みで、少しでも助けになる方法があれば、どんどん実行されるだろう。しかし…。

「何でも、かんでも若い方がイイ、価値がある!」

みたいな人いませんか?

まわりが「ウッ!」とするような服装はまだオモシロい。
でも、未成熟な態度、自分勝手な行動、子供じみた考え、自分中心でないとヘソ曲げる、など。こんな事まで、
「だって、私、若々しいんだもーん」
みたいに済まされると、迷惑です。

「少年のココロを持ってるオレ!」
みたいなオヤジ。自分で言うな、アグリーだぞ!

ばかやろう呼ばわり! [考察のラウンジ]

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時々インターネットやってると、みんなの意見みたいなページにたどり着き、読んでみると考える。
今朝、たまたま原発反対運動についての発言をみたら、熱く議論しているんだろうけど、罵声が飛び交っていることに驚く!

「原発に反対しているバカヤロー」とか、「オメーらみたいな…」とか

すごい関心事なのは疑いの余地もなく、知らんぷりが出来る状況はとうに過ぎ去ったんだろうけど、
見ず知らずの人にバカヤロー呼ばわりはありなのか?「バカヤロー」に「オメーらみたいな…」
で応戦する。

相手を威圧して自分の意見を通そうとする人達を信頼するのは難しい。

国会とか見てても、すぐ怒鳴る議員(本人は名物議員にでもなったつもりか?)に自分たちの声を代弁してもらっているという感じは湧いてこない。

どんな有意義な意見でも、罵声が枕ことばでは説得には役立たない。

クールビズだっ! [考察のラウンジ]

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きのう、総理大臣が発表しました。中部電力の原発も止めます。北、東の日本のことだとタカをくくっていた西側の日本人のみなさんも電力不足が人ごとじゃなくなって来た!
どうせ節電するなら、みんなでやった方がイイ!と、前向きに考えよう。

で、クールビズだ。ノーネクタイで冷房を節約する。節電という大義名分がある。
言ってみれば、お国の一大事だから涼しい服でゴメン!ということ。

つまり、本来は涼しい服はどんなに暑苦しくても
「先方様には失礼な服装」
という大前提の上に行われる運動。
ポロシャツより塩ふいた、汗ドロのスーツが正式なんだ。フォーマルだぞ。

一部の企業が夏時間を実施する。
私は夏時間推奨なんだけど、これは本筋とは違う。みんなでやらなきゃ。
偉い学者さんが「日本人にはなじまない」と言って夏時間に懐疑的だとか。
「やったこと無いから出来そうも無い」なのか

経験したことない天災に、考えたことない原発リスク。やりたい放題に浪費してきたエネルギーを、現実に減らさなきゃならないなんて、「やったことない」

今こそが「やったこと無いこと」をやる時じゃないのか?

何処へ行く、保冷剤! [考察のラウンジ]

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デパートに食品を買いに行くと、相変わらずスゲー過剰包装だ!
漬け物のパック1つをビニール袋にくるんでセロテープでとめる。
肉や魚は2重、3重に包む。

で、レジで1つ1つに保冷剤を付ける。1パック1個。
肉売り場のおばちゃんに聞いた。
「保冷剤、戻して来る人いますか?」
「います」、とのこと。「捨ててくれ!」
と、持って来るとのこと。

インターネットでみたら、
「保冷剤の捨て方」でけっこうヒットする。

「リサイクル」、「再利用」は見つからず。

うちの冷蔵庫は保冷剤がいっぱい。
肉屋のおばちゃんも「家にいっぱいあるのよ」って言ってた。

節電の夏が来る、今日あたりその兆しが…。
誰か考えてほしい。

保冷剤でつくる冷房グッズ!

平等ではあるが… [考察のラウンジ]

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震災のニュースが続く。
ただ、復興が進んでいる様子が届けられ、安堵感を覚えるものもあるので、それはGood Newsのうちにはいるのか。

義援金、賠償金、援助物資などみんなに配られ、渡されるべきもの、住宅の建設などが「遅れている!」というニュースが増えた感じがする。端から見てて、

「なんでもっとチャッ、チャっと出来んのか!」

と歯がゆい思いを感じる私たち。

「東電は、行政はなにやってんだ!」、的な。

思うに、彼らは
「平等に、不正なく」
がひとつの基本的考え方なんだろう。

全員がきっちり平等でなければいけない! あとで文句が出る。責任を追求される。

これって、きっちりした日本人には絶対で、時として
「でる釘は打たれる」
になったりして、、。

私が子供の頃、クラスに帰国子女が編入してきて、当然に英語がペラペラ。英語の先生よりうまい!
で、なんとその事が彼の悩みとなり、彼のとった解決法は

「みんなと同じに、ヘタな発音になり、外国で得た語学力を放棄すること」

かくして自分を平均的日本人英語レベルまで引きずり下ろして安住に就いた。

それと同じとは言わないけど、復興も「お手てつないで」的に
「みんな平等に困ってるから正しい」
みたいにならないとイイと思う。


占い師の皆様 [考察のラウンジ]

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よく買い物とかで街に出ると、占いの人を見かける。机を出して、手相の説明図とかを置いてあったり。
私は見てもらったことが一度もない。だから良く判らないけれど、あの人達って人の将来がわかるのか?
手相は人間が手を使ってできる一種のシワだと思うんだけど、本当に寿命、恋愛、収入に関係あるのか?
普通の人が判らない、見えないことを知っているなら、今頃すごい生活とかしているのでは?

とにかく「ナゾ」だ!

小学生のとき、図画の時間に、学校の近くの神社へみんなで写生に言った。

まあ、小学生だからすぐに飽きてそこいらを走り回ったりしたんだけど、そこに占い師さんが店(?)を広げていた。
着物を着て、筒のようなかぶり物。箸立てみたいなのに竹ヒゴみたいなのがささってて、傍らには大きな布に手のひらがいっぱい描いてあり、手相の説明がビッシリ、墨で書いてある。
ご本人はコワそうに偉そうに座ってました。

私の友だちが絵筆をもって見物に行った。占い師さんがチョットよそ見をしたスキに、シュッと手のひらに手相の線を書き足した。
気がつかない…。

もう一本シュッ!
まだ気がつかない!

調子に乗ってもう2、3本足して、しばらく見てたらお客さんが来た。
占い師さんはその大布に描かれた手のひらで手相の講釈を。

小学生ながら私は、
「自分の力で生きて行かなきゃ、、。」
って何となく思ったかも…。

腹立つなぁー! [考察のラウンジ]

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「復興も一段落したし…」
くらい思ってるのか?
総理大臣をヤメさせようとする人達。(身内の人間で同調者あり)
総理大臣の立場にしがみつく人、とそのまわりの人達。

どちらの言い分も
「復興が大事だから」
復興は材料か、票集め、支持集め、政権取るための。
政党間の争いが復興にどう役立つと言うのか?

復興じゃなくて「復興のやり方」でケンケンガクガク、物事が決まらない、進まない。
醜い!あまりにも醜いぞ!

節電、これしかない!(と思う) [考察のラウンジ]

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ワラモビッチ:

足並みの不揃いがちな日本国民が、夏の節電準備で盛上がっています。
ワタシも仲間にはいって提案シマス!

「夏時間の導入!」これしかない!

そんな事したら混乱を招くぞ!と言うあなた、心配無用。
あの自分勝手なアメリカ人のミナサンもちゃんとやってマス。
春の終わり頃、土曜日の夜中12時に時間を1時間進めるんデス。

朝は昨日までの5時が6時に、夏だからもう明るいヨ。明るいので行動開始します。でもまだ涼しい。朝の涼しい時間が1時間増える。
夕方、5時は昨日までの4時。外は8時でも明るい。会社の帰りに草野球とか出来る。照明なしで。
夜11時は昨日の10時、もう寝ちゃおう。明かりを付けてる時間が短いから、夜の電気代が節約できる。
人間、寝てる方が電気を使わない。

「夜遊びが増えるのでは?」というアナタ、あしたは昨日までより1時間早く起きなきゃいけないから、みんな寝るようになります。

プロ野球も途中から照明つければナイターでも節電できマス。

over−50,のわたし [考察のラウンジ]

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昔は老人が尊敬されていた。今はそうでもない。なんで?
近ごろ「over オヤジ to じいちゃん」の」世代の影がめっきり薄くなっている。昔のように皆が尊敬、とまではいかなくても、せめて平等に扱ってくれないのか。


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昔は、高齢者の人生経験からくる知恵、知識が若者世代のそれよりパワフルだった。高齢者は
「教えてやる」立場だった。みんなも訊きに来た。

今、高齢者になった人の知恵、知識、若い頃の経験は、きょうの生活では機能しない。古い。
機械やシステムがフルスピードで進化しているので、新しいものの方が早い、便利、効率的、かつ美しい(少なくとも見た目が)。

しかも新しい知識、知恵はインターネットの中にある。テレビ、電話で得られる情報はもはや一方的で、レスポンスが遅くて、しかもコストも高い。

コンピューターが苦手な高齢者は若い世代に物事を教えてもらう。使えると思っていた、今までのやり方は廃止、変更、淘汰されて、もはやこの世に存在しない。

年上が年下にお願いする、依存するという構図にとまどう人は、いばることも出来ず、へつらうこともできず、結果、存在そのものが薄れる。ウザイひとになる。

これってオヤジとかじいちゃんにとってピンチだ。
「知らないことは、相手が年下だろうが教えを請う、卑屈にならずに」がヘタ。そおいうふうに育ってないから。

一方で、変に若者、新しい物に媚びるオヤジ。カネ払ってでも仲間に入れてもらおうと必死だ。
「自分は追いついてってるぞ!」みたいに同世代の高齢者に優越的な態度。
実は若者に軽く見られている。

私は前期高齢者。このバトルにすでにハマっている。すこしギターが弾けるので、若者君でも
「イイっすねぇー」
とか言ってくれる。(オヤジの割にはって、その後に思ってんだろ!)て想像しながら。

震災で電気が足りなくなった。時代が少し戻ったような生活(のムード)節電、アナログ、アコースティックな風潮の中で、オヤジは存在感を少しは挽回できるのか?

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